合理的と非合理的のあいだ。
我が父はまったく非合理的だ。
計画や計算をしない。
例えば、夏休みの避暑地は人が多く宿代も高くつくから旅行は別の場所にしよう、なんて考えない。
今そこに行きたいから行く。
閑散期の5倍の人込みでも、5倍の価格でも、行く。
家に食品の在庫が沢山あるから焼肉は我慢して在庫処分しよう、なんて考えない。
今焼肉が食べたいから食べる。
冷蔵庫の中を見ていないから、焼きたいもの全部買う。
焼肉のたれ、3本目なんですけど...
昔からそう。非効率的とか、無駄とか、もったいないとか、考えない。
直観とか、情熱とか、テンションで行動する。
営業の人が直観的に良い人で信頼できるから、ってその場のテンションで車買ってきたりする。
騙されてないか...?
学校から帰ったら、突然子犬が家にいたこともあった。
「喜ぶとおもって。」
嬉しかったけど、私は犬種を選びたかった。
正直、困る。もっとうまくやろうよって思う。
ただ一方で、父の非合理的な行動は、時に私を楽しませ、和ませていることに気づいた。
自分でも理解できなかった。この感情が何なのか...
***
会社ではとにかく合理的であることが求められる。
というか、合理的であることが第一前提に会話が進む。
一方、子育ては非合理的であることが求められる。
こどもと遊びながら、
「その積み木の積み方は効率悪いからこの順番で積んだ方がいいよ」
「ママが料理している間に一人でレゴで遊んでいたら時間に無駄が無くて効率的だね」
「何言ってるかわからないから、考え整理した後で伝えてくれる?」
なんて付き合い方してはならない。
年齢によって時には必要だが、創造性や主体性の成長を阻む。
会社で、
「この仕事明日までだけど、今やる気分じゃないから後回しでいいや」
「この仕事はAさんの担当分野だけど、Bさんの方が仲いいし、Bさんで進めよう」
なんて仕事の進め方していては、会社の先行きが不安だ。
そういう体質の会社もあるかもしれないが...
もちろん、
会社は合理的に全振り!子育ては非合理的に全振り!
は失敗すると思う。
何事もバランス感覚が必要で、そこのチューニングが慣れるまで難しい。
会社では合理的に、家に帰ってこどもとは非合理的に接する二つのペルソナを持つ。
そのスイッチングに苦労する日々である。
***
会社の人間と接することが多かったためか、非合理的な人間が珍しくて、父の存在が癒しだったのかもしれない。
計算高くないことへの安心感。
父は、こどもたちが庭を裸足で駆け回り、そのまま家に上がって泥で床を汚し、汚い手でスイカを食べ、果汁で顔中ベタベタになる姿を、心から嬉しそうに見ている。
そんな父の姿を見て、私も心から嬉しくなっている。
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